『当今版籍返上相成リ候御時節柄、従来商人ノ身トシテ土地人民ヲ始メ請負支配致シ居リ候儀名分ニ於テ宜シカラズ、今般廃セラレ…』
と、場所請負制度の廃止を宣言し、漁場を移住者に開放して自営漁民を土着させ、漁業利益を国家財政の資に供することを目論んだまではよかったが、旧請負人達の猛反対と、これと手を握った開拓使一部幹部とのナレ合いで、二か月後には、
『請負人廃止ニ付キ当分漁場持ト唱ウベシ、其外ハ従前通リ……』
と、なんのことはない請負人から漁場持と名前を変えただけで終わってしまった。これは蝦夷地の経済支配に絶対的な力を持つ請負人の力に依存しなければ、拓地殖民などの実務が一向に進まぬという当時の中央権力の弱さを物語るものであった。ただ、漁業持に対しては出稼漁夫の募集に際しては、なるべく家族をともなってその漁場に永住させるように諭達することで、請負人の場所(漁場)における土地、人民支配を容認せざるを得なかったのである。
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